7.旧作1974年版「宇宙戦艦ヤマト」を39年ぶりに観て

 

新作「宇宙戦艦ヤマト2199」に不満を持ったと書いたが、であるなら今一度、一作目の旧作「宇宙戦艦ヤマト」を観返すべきではないのか!ということで、今回観てみた。

私の中では、もう39年前の作品だから、今観ると失望するかもしれないという危惧の念も大いにあった。

少し前に「新造人間キャシャーン」をテレビで観た時に、まあまあ今観ても面白かったが、やはり私の思い出の中のキャシャーンの方がもっと良かったよね…という気持ちであった。

往々にして人は昔の作品に、「あれはまさしく名作であった!力説!」というような思い出フィルターをかけてしまうものである。

だから旧作ヤマトについても、私は常々このフィルターを自分の中でかけているのではなかろうかと思っていた。

私の中で、旧作「ヤマト」の一作目がとてつもなく面白かったと思っているのは、自分の青春の日々への郷愁や、まだ子供だった精神面の幼さでの感想の記憶が実際以上にその評価を水増ししているのではないのか?と、心配しながらの視聴だった。

 

だが、実際観てみると、驚くことに今でも十分、いや十二分に面白かったのだ。

絵は今のアニメに比べようもないかもしれないが、私的には絵のきれいさは、きれいに越したことはないが、絵がきれいでも中身の無い作品は所詮張子の虎、それだけのものである。

極論で言えば絵なんぞは、想像力で補えば良いぐらいのものである。

つまり一番重要なのはあくまで内容である。

 

一作目「ヤマト」は内容的に実に良く出来ていた。

脚本、演出共に素晴らしいと思う。

私はずっと古代進が主人公だと思っていたが、実はこれって真の主人公たる人物は沖田艦長なのかもしれない。

沖田艦長なくしてヤマトなし、その存在感は絶大で、そして半端なく頼もしい。

沖田の信念に基づく彼の戦いの物語であった。

戦いは途中病に倒れる沖田から古代へと引き継がれてゆく。

その流れが主人公たる古代の成長物語としても十分機能しているといってもいいだろう。

そして避けられなかった戦いであったにせよ、戦いがもたらしたものが何だったのか、視聴者に提示されるメッセージは今観てもとても重く深い。

全然古びてはいないし、今の作品と比べても遜色はない。むしろ骨太な感じだ。

 

ただ、古代の子供時代や、相原の故郷の描写は昭和世代の私が見ても「懐かしーい、昔ってこうだったよね」というような描写である。

今の時代からしても未来の話の設定だったはずなので、このあたりは見ながら苦笑した。

 

そして、今回観てあれっ?と思ったことの一つは、記憶の中で島はもうちょっと控え目なキャラだったと思っていたのだが、いやいや、全然そんなことはなく、結構誰に対しても言いたいことは言っていた(笑)。

古代と島のやりとりを見ていると、なんだか昔見ていたテレビの時代劇に出てくる江戸っ子の町人のやりとりみたいな感じがした。

私が関西人だからかもしれないが、威勢がいいというか、二人とも元気がいいなあ。

ケンカも派手だし、言い合いも激しい。

キャラクターが立っていて、声優さんも皆上手いなぁと感心させられた。

 

とにかく、観直してはっきり判ったことは、宇宙戦艦ヤマト」一作目はやはり傑作だったということ。

私にとって「ヤマト」はやはり忘れられない作品、いつまでも大切にしたい心の中の宝物だったのだ。

ああ、ほんと、観て良かった。

 

 

8.デスラー総統と侍女と小姓のこと

 

私の記憶ではガミラスって男の人ばかりで女の人っていなかったよね…だった。

軍人が活躍してる場面が多かったからそんな風に思ったんだと思う。

 

今回「ヤマト」一作目を観直すと女の人も出てますよ!出てます!女性軍人もいるみたいだし、デスラー総統お付の侍女が頻繁に出ていた。

デスラー総統、総統府なるガミラス星の中心建造物の中にあるお部屋で侍女3人をはべらせてお酒を召し上がってらっしゃいました。

私設キャバクラみたいなものであろうか。(キャバクラ場面もう一度でくる。日課か?)

侍女たちは堅苦しそうでなく、ほどよくリラックス、媚を売っている感じなので、総統、女には優しいのでは?疑惑。

男の軍人たちにはやけに厳しそうなので落差あるなぁ(笑)。

 

そして執務室らしき部屋で大きな机に座って、ヒス副総統の報告を受ける際にも、この侍女たち傍らに2、3人いる。

直立姿勢ではなく、くねっとした感じの姿勢で総統の直ぐ側に立ってる。

ダラダラしてても叱られないもーん。って感じなのか?

やはり女には甘いのかもしれない(笑)。

 

もう一回この侍女たちが出てくる場面はドメルの死刑書類をヒスが総統に渡す場面。

部屋の端では侍女2人が床に寝そべってるし、総統は大きな鏡の前でスツールに座っている。

侍女が2人いて1人は総統にマントをつけていて、もう1人は手袋をはめている様子である。

この場面については小学館のセレクトブックというヤマトのムック本の解説に散髪シーンと書かれていたので、えーっ!散髪してたのか?ほんとに?とツッコミを入れたものである。

とにかく侍女たちは総統の身の回りのお世話をしているようである。

 

私は想像の翼をのばし、もしや、この場面の前には、あんなことや、こんなこと…、いやーっ!不潔!などと勝手に考えたりもした。

でも酒池肉林じゃなさそうだよね…?総統は潔癖そうだからそんないやらしいことはしないと固く信じたい私である。

 

そして今度は、お風呂で総統のお世話をしているのは侍女ではなく、男の召使みたいな人たちだった。小姓らしい。

総統は自分大好き自信満々だから、お身体を見せるのも全然恥ずかしくないもーんって感じであろう。

でもやはり、全裸で拭き拭きとかは、侍女ってのは、ちょっと…という一般人的な心理もあったのであろうか。

男同士だから…いいよね、視聴者もちょっとホッと安堵である。

しかし、小姓と総統の関係というのもなんか怪しいかもしれん…と又私の想像の翼は大きく羽ばたくのであった(笑)。

 

 

9.今週のガミラスさん?

 

全26話を観て、ヘェと思ったことの一つはこんな最初の方からちょこちょことデスラー総統って出ていたのか…、ということ。

2回目にほんのちょっぴり顔が出たあとも、ほぼ毎回ぐらいに継続して登場していた。

 

声だけの回もあるが、「ハハハハ…叩きのめせ!」、「小雀一羽叩き落さねばならん!ヤマトか…、ハハハハ…」などと地球に対するあざけり、小バカにした発言を、10話ぐらいまで、ほんのわずかに登場されては一言コメントのようにおっしゃられていた。

ハハハハ…と大笑いとか、クククク…と含み笑いと共に、結構従来型の悪役という感じでだ。

どことなく時代劇の悪代官みたいな口調でもある。

 

11話でガミラス人の顔色が肌色から青色に変わるのだが、このあたりからキャラ設定が固まってきたのか、冷徹な皮肉屋さんの尊大な総統らしくなってくる。

青色金髪になると見た目もカリスマ性上がったような気がする。肌色だと普通ぽかったかも。

この後は出る回ごとにどんどん総統らしいイメージが完成されていくことになる。

 

こういった風に、毎回ちょこっとラスボスが顔見せの演出って昔のアニメでよくあった。

これってオーソドックスだけど、結構後々にまで効いてくる演出だったかもしれない。

毎回少しずつでも観ていると、ある程度どんな人物か輪郭が固まってきて最後の方ではキャラクターとしてはっきりした形がつかめるようになっている。

 

又、苦言になるけれど、ヤマト2199のアベルト総統も毎回ちょっとずつでも顔を出さすとかなんとかして、キャラ作り固めて欲しかったなぁ(涙)。

アベルトのこと嫌い嫌いと言っているが、こんなに気になってるのはもしや心の奥底では好きなのか…?(苦笑)

 

 

10.デスラー総統はナルシスト

 

デスラー総統は相当自分のことが好きなんだと思う。

鏡の前にいる場面が頻繁に出てくる。

これってナルシストの人を表現する常套手段だよね。

モロ、顔を左右に振って見目を確かめてらっしゃったり、ヒス副総統の報告を受けるときも鏡に映った自分の顔をじっと見つめながら聞いていたり。

相当重症のナルちゃんですなぁ。

きっと自分が大好きなのであんなにいつも自信満々なのであろう。

揺ぎ無い自信、超ポジティブさんである。

 

うーん、では総統の見た目は美形の設定ということであろうか。

1974年当時の私にとっても、それはよく分からなかった。

今の大人の私にとっても、ちょっと判断つきかねるのだが、髭などは薄そうなつるっとした感じの顔である。

いかつくはない、他のガミラスの人々やヤマトの男性たちと比べても顔立ちは優男っぽいのかもしれない。

当時の作画としたら美形の設定ということであろうか。

 

眉がすごく細いのも気になる。

古代君をはじめ普通の男性たちの眉は「どうしたんだ?!」と思うくらい太く描かれていた時代だから、眉が細いのは一体何を表現したい意図であろうか?

他に細い人は真田さんとか、ヒスとか、タランもちょっと細め?

頭脳派というようなのを表しているのか?

私個人としては希望を込めて勿論「デスラー総統は美形である!!」と力説したいのだが、心の奥で、ほんと美形と受け取っていいんだよね…?(不安)みたいな心細さがあるわけである(笑)。

 

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