アニメキャラクターのフィギュアのことを考えた・その1

前のブログでデスラー総統のフィギュアのことを興奮の坩堝状態の中で書いた私だが、アニメのフィギュアについてちょっと考えている。

まっ、そうは言っても大した内容は考えていないのだが…(苦笑)。

 

アニメは当然のことながら二次元の媒体である。

そこに出てくるキャラクターに魅了された時、私たちは原点である作品を何度も見返したり、あるいはスチル画を見たり、情報を得る為にムック本等を読んだりする。

細部を確認することでイメージを自分の中にしっかりと取り込もうとするのだ。

今の時代なら、そこから発展して二次創作物を楽しむということもあるだろう。

他にも、声優さんにのめり込むというのもあるかもしれない。

そうこうして、いろんなルートで、キャラクターに対する愛を育みしながら膨らませていく。

こういう多方面からのアプローチ過程を楽しむのも二次元の人を愛でる醍醐味であるといえよう。

しかしある時、私たちはふと気が付く。

二次元ものの限界というか、私たちとの間にある越えがたい壁というか…、どんなに愛を膨らませても決して彼らには触れることが出来ないもどかしさに。

 

そこでフィギュアのことである。

アニメのフィギュアはキャラクターを模して作られている。

アニメキャラの雛形といってもいいだろう。

私は普通の人形にも感じていることなのだが、そこには、何かを入れる入れ物としての存在というような意味合いを感じる。

何を入れるのか?

きっと、それは自分の中にある想いではないだろうか…。

 

手で触れられる形となった二次元のキャラクター(フィギュア)を所有すること自体、大変テンションの上がる出来事である。

そして所有した時から、自分のいろんな想いがそのフィギュアの中にどんどん吸い込まれていくような気がする。

自分の想いを受け止める物(フィギュア)が現実の形でそこに存在することの喜びは大きい。

どこか頼りなかった自分の気持ちの拠り所を此処に得た!という安堵感もある。

なにより、間近でしげしげと目にすることが出来ること、触りたい時に触れるというのは、先に書いた二次元の人への愛につきものの満たされぬ心の寂しさ部分を少しは癒し補ってくれる。

そういう意味もあって私にとって、アニメキャラクターのフィギュアの存在感は非常に大きい。

二次元キャラを愛する上で、モチベーションの維持には強力アイテムである。

 

ところで最近のフィギュアってなんだかビックリの品質だと思いませんか?(誰に言っている?笑)

このサイトを作るまで、もう何十年もアニメを真剣に観るということはなかったかもしれない(ぼーっとは観てたけど…)。

だから当然、フィギュアのことなど、ほとんどチェックすることもなく日々過ごしていた。

それが、この所、アニメ新作等も熱心に観ているせいもあって、アマゾンなどでフィギュアいろいろを、しげしげと見ることもたまにある。

私が昔思っていたフィギュアと最近のフィギュアとでは、品質レベルは雲泥の差があると思う。

フィギュアって日々進化してるんじゃないか?と思っている。

 

この話、もう少し続くのですが、あまりに長いので、次に続きます。(笑)

                                                       続きの「その2」

               

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