「花燃ゆ」が遂に最終回を迎えた。
先日書いたとおり、私は群馬編になってから、今までより面白くなったと思っていた。
演出もなにやら落ち着いてきたように思う。
加えて群馬編になって登場するようになったベテラン役者さんの力もあるんじゃないか?それは江守徹さんと三田佳子さんのことである。
この人たちが登場していることで、観ていて安心感があるというか、物語に厚みが出たような気がするのだった。
えっ?では物語として最終回まで観てどうだったか?ですか。
…、フッ、やはり地味だったかな。
大河ドラマは、武将が主役なんかだと、死の床で半生が走馬灯のように…演出とかが普通だが、そんな話ではないので、平和でほのぼのハッピーエンド最終回であった。
結局、いろいろ波乱はあったが、それを経て初恋の人と結ばれて良かったね…という、ほっこりした気持ちで観終わった。
後味も悪くなくこれはこれで良かったと思う。
でも、これでは、なんだか一昔前の少女マンガ(悪い意味の例えですよ)のような物語という印象だ。
やはり何故こんな地味な人が主人公なのかという気持ちは最後まで残った。
人と人を繋ぐ架け橋になったり、女子の教育の大切さを説いて実践したりという人生なのは分かったけど、所詮女はこのぐらいのことしか出来ないということか…。
あの時代の女性だし、仕方ないのか…、まあ、いいんだけど…、というやや後ろ向きな気持ちも同時に抱いたのだ。
何故そのように思うのかと考えてみると、美和っていつも誰かの夢や理想にのっかってるようにみえる。
最初は兄である吉田松蔭、次は夫の久坂玄瑞、最後も義兄(夫になる)楫取素彦の。
尊敬し愛するそれらの人に従い、裏で支え、手伝いをするというのが悪いとはいわないが、ほんとに彼らの考えに同調して、あなた自身の中からわき起こった信念で動いているのか?という気がしていた。
別に美和が物語りの中の一人物なら、そんな煩いことは言わないが、この人って主役だよね。
大河ドラマの主役としての立ち居地にふさわしい人物としての設定なのか?ということだ。
美和の態度を観ていても、辛抱強く耐えているみたいな顔して無言で意思表示していることも多かった。
それはそれで悪くはないんだけど、それ一辺倒か?
これは脚本のせいか、それとも演じる井上真央さんの演技のせいか?
沈黙は金、雄弁は銀という諺もあるけど、主人公には人をドキリとさせるようなセリフをここぞと言う場面でバシッと発してもらった方がドラマとしては効くと思うんだけど…。
番組枠にとらわれて印象を押し付ける私がどうかしているのかもしれないが、大河ドラマ枠なら、もう少し、自らの強い意志で動くような人物の一生を見せてもらいたかったように思う。
私の場合は、何か心を鼓舞してくれるような要素を大河に求めているのかもしれないなぁ…(これは人それぞれだと思いますが)。
NHKの大河ドラマって、普通の民放の時代劇よりも視聴者の見る目はうんと厳しいと思う。
「花燃ゆ」だって、普通のテレビの時代劇と思って観たら上出来ですよ。
しかし、今の時代で1年にわたって放送されて、国民の受信料による潤沢な資金をもって製作するのだから民放より高いクオリティーの番組を作って欲しいと思うのは視聴者としては当然でしょう。
又、批判めいたことも書いてしまったが、私が最後まで観た大河ドラマはそうそう多くないので(いつも途中で飽きて挫折している)、やはり「花燃ゆ」は、なにかしら私好みだったのかなと思います。(ツッコミどころを楽しんでいたのか?笑)
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