アニメ「僕だけがいない街」の八代先生のこと

アニメ「僕だけがいない街」が最終回を迎えた。
話がきれいに収まるところへ収まった後味の良い作品になったという印象。
途中の話の展開から、もっと苦い後味が残るのではないかと思っていたが、意外とそうはならなかったのだ。
その点はホッとした。(最近の私は後味の良い作品が好みなもので・笑)

ちょっと気になったこととしては、最初大変重要なモチーフだと思っていたリバイバル現象が、最後の方になると付け足した設定のような感じがしてしまったことだろうか。
いや、そう感じたのは、私にとって作中にリバイバル現象よりも、もっと興味の中心になる人物ができたからかも…。

この作品を考えると、その人物、矢代先生のことばかりが浮かんできて困っている。
主人公が悟なのは勿論異論はないが、でも、最後まで観るとなんだかこれ、私には八代先生の話だった…(笑)。
そんな思いにとらわれているのは私だけなのかもしれないけど。
とにかく私には八代先生のことが、ひときわ印象に残ってしまった作品だったといえよう。

 

当初犯人は?の時点で、頭の隅にもしや八代先生が…というのも一瞬よぎったものの、いいや、あの八代先生がそんなであるわけない!と思った私であった。
ミステリー作品では、一番怪しくなさそうな人物を疑えが鉄則のはず!

そんなこと私だって知らぬ訳ではなかったのだが…。

 

画面で一番最初に先生を見た時に、何故主人公の担任の先生がこんなにもイケメンなのか?と思った。
不自然なほど美形じゃないの…?(笑)。
まず、そのことにに違和感があったが、先生の実に良い人そうな言動をみていると、あんな鬼畜のような犯人であるはずはない!と自分に言い聞かせてしまい、まんまと欺かれてしまった。
主人公の悟が、先生が犯人だと分かった時に、本当はずっと前の時点で気づいていたはずなのに、そのことに目をそらしていた、それは、そうであって欲しくないと自分が思っていたからだ、というようなことを言っていた。

私も同感です!


人って自分が見たいものしか見ないのだ。
対象に対して、強い好意を持っていたりする場合は余計にそうなるのだ。
悟の場合は、八代先生を父親のように慕っていたからだろう。
そして私は先生の美形具合に惑わされていたからだろう(苦笑)。

 

私は原作の漫画は読んでいないので、アニメのストーリーのみの感想を書くことにする。(完全なる私見ですので、思い違い等あるかもしれませんが、ご容赦ください。そして八代先生のことがほとんどです・すみません…笑)

 

アニメの後半には、リバイバルを繰り返した悟が加世ちゃんらの事件を阻止した結果、代わりに自分が犠牲になって意識不明で眠り続けることになっていた。
ふと思ったのは、このリバイバル後の世界では、八代先生って結局何人殺しているのか?

先生のモノローグで加代ちゃんを殺害するまでに何人か殺しているように語っていた(今まで糸が見えた人間を殺したと言っていたから)。
しかし悟によって加代ちゃ以降の殺人を阻止されてから、悟が目覚めるまでは殺人は犯してしていないといった内容を口にする場面もあった。
じゃあ、そんな多くは殺害してないって設定?

 

悟の元の世界(リバイバル能力での改変前)では八代先生は延々と殺人を重ね続けていたようだから、結局リバイバルで悟が救ったのは彼の周りの人々だけではなく、もっと多くの人だったのだ。
そして、悟が意図したことではなかったが、殺人を犯さないで日々を過ごせたということでは元凶の八代先生をも救っていたともいえよう。

 

漫画版、映画版は観ていないので、断言はできないが、見聞きした限りでは先生のイメージは三者三様で違うようだ。
(ネットでチラリと見た情報では漫画の方はどの世界でも何十人単位で殺人を犯していたようだし、映画って普通の幼女殺人犯みたいらしいし…)

 

アニメの八代先生に限ると、上にも書いたが悟が眠っていた15年間は誰も殺害していなようだ。
少年期にハムスターのスパイスを手に入れた時に「しびれた!(興奮と歓喜でだろう)」と言ったように、悟という新しい「スパイス」を得た先生は同様に「しびれた」のだろう。
 

先生はハムスターのスパイスを2年間飼っていたらしい。
おそらく、その2年間は殺人を行ってはいないだろう。
同じように悟が眠っていたのを見守りながらの15年もそうだったのだろう。
先生の心の中に満たされぬ暗く深い空間があって、それを満たす為に、殺人は必要であった。
殺人を犯さず過ごした15年間、先生の心を代わりに満たしていたのが悟の存在だったとしたら、悟は先生にとってかけがえのない存在「スパイス」だったのだろう。

 

ちょっとわき道にそれるが、先生によって殺害されかけた悟を、水没する車から助けたのは誰だろうか?と考えたことがあった。
最初私は、先生が思い直して?と思ったりしたが、よく考えるとそれじゃ、悟が「スパイス」にならないのだよね。
悟は第三者に運よく助けられたのか、リバイバルが起こったのかわからないが、先生以外の力で助かったのだろう。
絶対に死ぬはずだった自分の策を潜り抜け生き残ったというのが、先生にとっては悟が「スパイス」たるべき大切な要素なんじゃないかと思う。(やっぱり変な人だよ~苦笑)

 

先生がハムスターのスパイスの件以来、蜘蛛の糸が見えるようになったと語っていたが、それはどういう意味だろう?
糸の見える者を殺害するのだと言っていたが、糸が見える者ってカンダタのように極楽(苦からの開放)を目指して必死にもがき、今の状況を抜け出そうとしている者のことだろうか?
加代はそれに当てはまるだろうし、リバイバルした後の、世界を変えようと必死になっていた悟も当てはまるだろう。
同級生のヒロミや隣の学校の彩もそういう要素があったのだろうか。

 

先生がそんな対象を殺すのは、憎しみといった感情ではなく、むしろカンダタの糸を切った仏の立場に自分を見立てているようなふしがある。
先生は慈悲とでも思っているのだろうか。
煉獄のような現状からの救済?

先生の中の底知れぬ虚無がさせているといえるかもしれないが、けれどそんな綺麗ごとだけでは済まないだろう。
所詮は他者を自分の支配下における力が自らにあることの確認手段だろうし、殺人を犯すことで得られる「しびれる」ような興奮を本能が忘れられないだけなんじゃないの?という気が私はする。

それだけじゃなく、どこかに自殺願望や、破滅願望がある人なのかもしれないけど…。
先生自身も自分にも糸が付いているのが見えると言っているところをみると、そのことにきっと気が付いているのだろうが…。

 

身も蓋もないことを言うと、先生の場合って快楽殺人だよね。
人って快楽にはなかなか抗えないものだと思う。
誰も彼も少なからずそうだと思う。
思えば常に善行をする人だって、そのことがその人にとっては喜び(快感)に繋がるというルートが心の中に出来上がっているからではないだろうか。
こういう正の方向へだと社会的にも受け入れられるし周りも万々歳なのだろうが、広い世の中社会的に受け入れられない負の方向へ向かう人もあるだろう。
快楽がかかわっているとなかなか容易には矯正できないだろうと思うので、考えれば考えるほど暗澹たる気になるのだが。

 

アニメのクライマックスで悟が、先生に対して、自分の存在が先生の生き甲斐のようなものだ、だから先生は僕を殺せない!と先生を看破する。
先生は勿論薄々気が付いていただろうが、その事実を突きつけられて、自分と悟の行く道はこれしかないと決めたように、その場で悟と心中しようとする。

だが、それが、又しても先生の行動の先を見越した悟がしかけた先生を追いつめる策だと判った時、そのあまりの見事さに、先生は再び悟「スパイス」に最高に「しびれた」のだと思う。
あの時、先生にあった蜘蛛の糸が切れたのは、先生がカンダタのように真っ逆さまに地獄へ落ちるということなのか、それとも殺人によって埋め合わせしなければならないようなダークサイドの飢えから開放されたということだろうか?

 

アニメの八代先生は少なくとも、悟が生きていたこと、自分が捕まったことが、厭ではなさそうだった。
むしろ、安堵したような雰囲気さえあったように私は思ったのだが。
「私の「スパイス」だからこそ、誰も切れなかった私の糸を切れたと」満足していたのだろうか。

アニメの先生は、捕まった容疑からしてそう長くは刑期に服さなくてもよいのかもしれないと思うのだが…。

えー!それって、大丈夫なの~?!(笑)。
 
あの物語の流れでは悟のことが、前よりもっとゾッコン、ご執心になってるんじゃないの?疑惑を私は持っているんですが…。
それまでの年月もずっとストーカーだったけど、もっと最強のストーカーになったりしたら、アニメの方ではもひとつ別のストーリーが作れるかもしれない。
悟の平和で平穏な日々がどうか八代先生に乱されませんように!(祈願!・笑)

 

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