1・あの頃、私はまだ子供だった
2013年の4月、大学生の子供から宇宙戦艦ヤマトのリメイク作品がテレビ放送されると聞かされた時から、それは始まった。
思い起こせば1974年、初代ヤマトのアニメが放送されていた時、私は中学生だった。
リアルタイムの放送では最初の方の回は見ていなかったと思う。物語後半ぐらいから見たような気がする。
あの頃、家にはテレビが一台しかなかったし(ゆえにチャンネル争いもあった)、もちろんビデオデッキ(今となるとこれも懐かしい代物だけど)も無かった。
見逃したらそれっきりであった。
だから再放送がかかった際はもう必死で見ていた。
そう、私は初見で途中視聴にかかわらず、このアニメに心をガシッと鷲づかみにされてしまっていたのだった。
もともと幼少期からアニメ好きなせいもあったのだろうが、このヤマトと一作目のルパン三世によって私は今でいうアニメオタクの端くれとなった。
しかし、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト、愛の戦士たち」の後、私は急速にヤマトから離れていった。
あの映画を見て、劇場で号泣状態にさせられたのに、さほどたたぬうちに続編が作られるとは…。
私が感じていただけかもしれないが、言論界やマスコミもあの時代は今より左翼の風潮が強かったのではなかろうか。
作風が軍国主義に通じるだのと叩かれたり、はたまた金銭的な生臭い話が製作側にあるだのどうだのということを雑誌等で読むにつれて、自然と離れてしまったのであった。
その後、ガンダムやイデオンなどを経ながら、社会人になるまで、その時々のアニメをそれなりに楽しんでいた。
今から思えば、私がアニメに猛烈にハマっていたのは、やはりあのヤマトの時期だったかもしれない。
そして今になって、リメイクという形でヤマトを39年ぶりに見られる!顔には出さないが相当興奮していた私。
さて、4月放映が始まって、新作ヤマト2199を見てどうだったかというと、これにはいろんな意味で触発された。
そう、もうずっと忘れていたヤマトが好きという気持ちが長い時を経て戻ってきたのである。
ここで、言っておかねばならないことは、私は実は中学生の昔からずっとデスラー総統のファンであるということ。 もしかしたら、ヤマトが好きをいうより総統が好きだったのかも…(笑)。
新作を4月から見るにつけて、旧作の知識が「さらば…」止まりの私はネットで旧作品についていろいろ調べてみた。
そして、ヤマト2、ヤマト3、新たなる旅立ち、完結篇までデスラー総統が生きてらっしゃって、衝撃のガミラス星消失を経て、ガルマンガミラスなる新国家を作られたのもつかの間、 それもまた天災で失われて…などなど苦難と栄光に満ち満ちた人生を送ってらっしゃったことを知ったのである。
その上、プライベート面ではああ、なんとスターシャさんのことをあんなに深く思ってらっしゃったとは…、ほんと、いろいろとビックリしたなぁ、もう!
しかし、こうしてホームページじみたものを作ろうと思ったのはファンとして再燃したというだけでなく、実は回を追うごとに新作を見ていて悲しくなってきたからだ。
そう…、新作のデスラー総統のありようが、旧作とはずいぶん変容されていることに。 そして、新作の物語の根幹部分も変容していることに…。
これについては、追って語ることにする。
旧作大好き昭和人としては捨ててはおけぬという気持ちで、主にデスラー総統について語っていこうと思う。
2・新作「宇宙戦艦ヤマト2199」のアベルト・デスラー総統について
新作ヤマト2199・25話でアベルト・デスラー総統はヤマトへの白兵戦をしかけたものの失敗して撤退、デスラー砲でヤマトを狙うがヤマトの実弾砲撃を受けデウスーラ2世号もろとも爆発に巻き込まれて死亡。
もしかしたら脱出したかも知れないが、一応死亡したと思う。
旧作のデスラー総統は私にとって絶対なので、新作は区別の意味をこめてアベルト・デスラーもしくはアベルトと呼ぶことにする。
アベルトって…、これって…どうよ?もう、観終わった後、悲哀すら感じた…。
新作のアベルトは旧作のデスラー総統より見た目は若くて、非常に美形である。
私にとっては旧作の、ややおじさんっぽいような気もしなくはない外見の総統が、それはそれで十分魅力的なのだが(男らしい~!笑)。
途中までは傲慢で冷徹で旧作の総統を彷彿させてくれていたので、若作りだけどこれはこれでいいなぁと思っていた。
ところが終盤にさしかかるにつれて、私の中で彼の株は大暴落していく。
彼が目指す宇宙平定(?)(地球を攻撃してたのもこれが理由らしい…)、が隣の星のスターシャの為にしてることで、なんと、スターシャに対する彼の愛情表現らしいと劇中で描写され始めたあたりから、私は心の中で大声で「はぁ~?!!」と叫んだ。
行動動機が非常に私的、個人的なもので、しかも恋人愛という超生々しいやつって、どうなのよ!?
ガミラス帝星のトップにあろうものが、それだけしか頭にないのか!?と糾弾したくなるような小物感あふれる残念な人物になっているではないの。
まあ、百歩譲って動機がそうであっても、ヤマトがガミラス本星にいよいよ来た後の戦闘の仕方とかで、それなりの筋道の通った方法で対処してくれたならば私の憤懣も納まったかもしれないが…。(いや、納まらなかったかもなぁ・笑)
「きみの使命を私が果たそう。約束するよ。きみの願いはこの私が叶えてみせる。そして全ての星に平和を…。」 これがスターシャに若き日のアベルトが言っていた言葉。
シチュエーション的にはまるでプロポーズのような絵図らでムード満点で語られる場面。
終盤、この場面が何度か出てくるので、余計にアベルトの行動のすべてが、スターシャの為、しいて言えば彼女の愛を自分が得たいが為だけのように感じさせられる。
これが彼の一番の根底にあるものとしても、実際、星のトップに立って武力による宇宙平定に乗り出してしまった今、理想とはかけ離れていく矛盾に葛藤を感じている、そうゆう相克の中で壊れてゆくもの云々などの描写があれば、そうか、アベルトもいろいろ大変だよね…などと思える部分もできたかもしれない。
しかし、そういった描写もそれまでの劇中にはほとんどない。
中盤ぐらいまで、スターシャとの関係についてもさして不満がありそうな雰囲気もなく描かれていたのに、終盤に入ると急に一人思いつめたような、いや何かに取り憑かれたのでは…と思わせるような行動をとり始めるアベルト。
唐突にイスカンダル・ガミラスの大統合の為だの、来るべきガミラスの新時代に向けて犠牲が必要だの、訳のわからない理由での独りよがりの暴挙では、視聴者に正気かどうかも疑われてもいたしかたないだろう。
まさか、本当におかしくなられてたのか…?という疑問もよぎるが…。
劇中で口頭でもいいから大統合やガミラス新時代の概要を誰かが語って欲しかった。
それがないので、アベルトには感情移入ができない。
大統合って、スターシャと自分が大統合するってことか…?などと下種な勘ぐりまでしそうになった。
結局、とても危ない感じの不気味な人物になってしまった(終盤はもう暗愚といってもよいような有様…)アベルト。
あげくの果てに、それほどまでして恋焦がれていた相手のスターシャとも両思いにはなれず、最後まで支離滅裂な行動のあげく死んだとしたら、哀れすぎないかい? 旧作一作目の総統が硬派なのに対してものすごく軟派な感じ。
前の総統が「ガミラスが好きです!でももっと戦争が好きです!」ならばアベルトは「スターシャが好きです!いろいろあってもやっぱりスターシャが好きです!」みたいな感じか?
どちらもヤマトの前に敗れ去るのだが、印象は全然違う。
隣のスターシャに恋して、一生懸命好かれるように努力したけど、やっぱり僕ではダメだった…ああ、哀れアベルトの壮大なる失恋日記みたいな印象を私は受けた。 痛いなぁ、痛すぎるぞ。
視聴者に同情されて哀れまれては敵役としても三流でしょう。
もしかしたら製作サイドは敵役としては描いてないのかもしれないけど、そうだとしたら強力な敵役、悪役を持たないドラマはドラマとしても非常に弱いんじゃないか。
この大きな原因はおそらく、地球を攻撃している理由が旧作のような差し迫った移住先の星の確保の必然性というのが無くなったせいだろう。
滅び行く星から新たなる移住の為に、侵略してでも自星の民はなんとしても生きるんだという究極の欲求で動いていた旧作のガミラス星に対して、 単に宇宙の恒久的平和を目指すため、目先の強行的な侵略はまあ仕方ないでしょう的な新作のガミラス星。
そりゃ、本来、そんな理由では両星の滅亡をかけるような戦いなんぞは最初から必要なかったよね。
妙な考えに取り付かれたトップがいなくなれば、あっさり和平も当然といえば当然かもしれないですわな。
物語自体に緊迫感がなくなって、終盤にきて興ざめな感じであった。
私が、ヤマトという作品になんの思い入れもなければ、アベルトのこともこのように悲しく思うことは無かったであろう。
しかし、思い入れが強かった分、なんとかならなかったのか、人物の性格の描きこみにもう少し時間を割いてもらえなかったのか、非常に残念である。
こんな描き方なら、いっそ、うんと悪い人に描いてもらった方が良かった。
旧作の総統も冷酷で、傲岸不遜で、戦い大好き人間で、凶暴なところもあったし、思い起こせば非常に強烈な個性の困った方であったが、人一倍強い愛国心を持ち、公を重んじる人物であった。
そのリーダーとしての資質とカリスマ性は特別で、ある意味ものすごく熱い信念の人だった。
全面的には全然共感はできないが、その存在感は非常に大きく重かった。
驕慢、慢心の末、己の戦い大好きの欲望に飲み込まれて、負けるはずがないと思っていた戦いに敗れ、自らの星をも破壊してしまう。
それでもなお戦うことを止められず、あげく自らの攻撃によって自滅してしまうという、それはそれで観る者に人の業の深ささへをも感じさせるような壮絶な最期を見せてくれたものである。(正直、ちょっと滑稽でもあるが…汗っ)
今回のアベルトさんの場合もきっと、毎回、少しずつでも場面を描きこめば、理想と実際に実行に移したときの思いもよらぬギャップに悩みながら、それでも流されていく葛藤、為政者の孤独などが表現できたかもしれない。
作っている方も恋愛至上主義のヤンデレみたいな人物に描きたかったわけではないと思いたい。
しかし、ドラマの登場人物も多くなっていたし、時間的にも無理だったのだろうか…。
彼が単にアベルトなんとかという名前の人物なら、きっとこのようなフツフツと湧き上がる怒りは感じなかったはずである。
デスラー総統という名前である人物が、あまりに情けない描かれようなのがどうしようもなく口惜しかったのだ。
ものすごく文句を並べたが、いや、もはや言いたい放題状態であるが、私はそれでもヤマト2199という作品には今でも感謝している。
おそらくこれが無ければ私はヤマトという作品に戻ってくることは無かっただろうから。
どうして偏見を持ってしまったのか自分でももうよく分からないのだが、ヤマトが好きと人前で公言することがずっと恥ずかしい気がしていたから。
ファンと名乗るにはあまりに情けなく、へなちょこ過ぎる私であるが、今、また再び、今回のことをきっかけに旧作を観る機会にこの歳になってめぐり合えたことに「感謝の極み」なのであった。
3・「宇宙戦艦ヤマト2199」のスターシャについて
私の愚痴も尽きたかと思いきや、愚痴ついでに、ここでもう気持ちの膿を出し切るつもりで書く。
旧作のデスラー総統が好きと書いたが、実はスターシャも結構好きであった。
なので、アベルトに触れたならば、お相手スターシャにも触れねばなるまい。
女の視点で新作スターシャを見ると、これは看過できん!という点が満載である。 今度は哀れではなく、怒りが前面に出ている私。
女は同姓の女に対しては概して見方が厳しいものである(苦笑)。
イスカンダルの設定がもうひとつ分かりづらいので的外れなことを言うかもしれないが、イスカンダルはかつて今のガミラスなど比ではないほどの絶大な武力でもって、銀河を支配していて、 それを反省して今は平和主義を説いてまわっている星らしい。
「全宇宙のあまねく知的生命体の救済」をすることがスターシャの使命らしい。 なにかこの思想、押し付けがましい気がしないではないか。
ものすごく上から目線である。
まあ、いいでしょう…。
しかし、そういったことをのたまうわりに、彼女のしていることはどうだ?
自分に気のある隣の兄ちゃん(アベルト)の気持ちを十分に知っているはずである。
「きみの使命を私が果たそう。約束するよ。きみの願いはこの私が叶えてみせる。そして全ての星に平和を…。」なんて面と向かっていわれてるんだもの、知らないとは言わせんよ。
彼が暴走してイスカンダルの思いとはかけ離れた方向に行ってしまったので彼女は抗議はしているらしいが、本当にそう思っているなら彼女のとるべき方法は普通に考えれば二つでしょう。
ひとつは、もしアベルトのやり方がどうしても許せぬのなら、はっきりと彼の好意をはねつけ、決定的な別離を告げること。
あんたのしてることが私は許せんから、私の為になどという名目での侵略はお門違いだ、すぐにやめてもらいたいもんだ!そんなことしても私はあんたのものには絶対なんないからね!と言うべきなんじゃないの?
なまじっか、色っぽく「もうやめて、アベルト…」などと中途半端な態度で接しているから、相手は妙に誤解しているんではないのか。
嫌よ、嫌よも好きのうち…なんて言うではないか。
きっぱり言わないと分からない奴はずっと分からないまま引きずるもんですよ。
そして、もう一つの方法は、イスカンダルの女王として命をかけてまでの宇宙平和を希求する覚悟でいるなら、アベルトを受け入れて、暴走を止めるように進言すること。
だって、隣の兄ちゃんはあなたの為だけにやってるらしいから…。
お隣さんのおかげで、宇宙の平和は乱されているようじゃないですか?
あまねく知的生命体の救済を説くなら、まず身近なところの隣の兄ちゃんの救済をしてやってほしい。
それが直近では一番、宇宙の平和に近づくんじゃないか。
命をかけるくらいの覚悟があれば少々嫌いな男にでもそのくらいはできるだろ?(それとも死ぬより嫌われてるのか?かわいそう…)
どちらもする様子はなく、まるで恋愛の保険をかけるようにキープ君としてアベルトの気持ちを引っ張っているのではないのか。
おまけに天から降ってきた地球人と短期間にいい仲になってしまってる有様。
そう、スターシャの年齢がどのくらいの設定なのか分からないが、精神的に幼いように見える。
それはアベルトも同様に。(二十歳前ぐらいの年齢なら仕方ないなぁ…と思うだろうが、もっと歳くってるよね?)
もしかしたら私がおばさんすぎるから、そう思うのか…。
このように精神的に幼い人物を上にいただくガミラス星の人々はいったいどうなっているのだろうかと心配になってくる。
スターシャに関しては、アベルト哀れさの同情も影響してか、アベルト欄以上に無茶苦茶暴言を吐いてしまった。
相変わらずまばゆいほど美しい外見なゆえに私の醜い嫉妬、やっかみの対象にされてしまったのかもしれない。
ご愁傷様である。(ちょっと、反省…)