75.「2202」のアベルト・デスラー総統のこと

 

私の認識では「2219」における地球とガミラスの戦争って結局アベルト・デスラー総統の野望のとばっちりだった。

スターシャに対する「愛」から始まって、「あまねく星々、その知的生命体の救済」というイスカンダルの主義を彼なりに実現するために宇宙のあちこちの星を併合していて、その一環として地球にも手を伸ばした。 

だから終盤暴走した独裁者デスラー総統がいなくなったら(ほぼデスラー総統の自滅状態)地球とガミラスはすんなりと和平を結ぶことができて、めでたしめでたしの結末となった。

 

…で、この流れで「さらば…」のリメイク版新作にデスラー総統は登場することができるのだろうか…?(というか、どの面下げて登場する気だ?)

 

あくまでも旧作のデスラー総統が大好きな私であるが、アベルトだってやはりデスラー総統なのだ…だから、なんだかんだ文句を言いながらもアベルトが「2202」でどんな扱いを受けるのか心配していた。 

 

 心配しながら観た「2202」には 「2199」でのデスラー総統の暴走行動をフォローしようとする理由が描かれていたのだった。

 

実はガミラス星は旧作と同様に星の寿命問題(100年ぐらいで危ない?大そう差し迫ってませんか!?・笑)を抱えていて、移住先を探すために急速に版図拡大をしなければならなかった。

そのことを一般の人が知ると混乱が起きるから上層部のごく一部のみの判断でことを進めているらしい(超極秘事項)。

デスラー総統は秘密で進めることによる負の側面を一身に背負って悪者と思われてもガミラス臣民を新天地に移住させる為に若い頃からわが身を捨てて尽力していた。

ということらしい…。

  

でも「2199」を視聴していた人は、突然こんなこと言われて、はいはい、そうだったんですか!と納得できるだろうか…?

「2219」の劇中にはそんな設定は微塵もなかったように思える…。

確かにアベルトは「2199」で「この星にしがみついてなんになる」と言ったりしていたが、あれは星の寿命云々とは違う意味でだったのでは…と思うのだが。

「2199」との整合性から考えるとこんな理由はちょっと強引なのでは? 

しかし、このぐらい強引な理由付けがないとデスラー総統をもう一度物語の中で復権させるのは無理だろう。

強引すぎてもこれはこれで仕方がないのかな…と私も思う(苦笑)。 

なので「2199」のアベルトのことはもう極力思い出さないようにして、「2202」のアベルト・デスラー総統を気持ちを新たにして観ました(笑)。

 

勿論理由付けしてくれたことは、良かったと思うし、「2199」よりも今回のデスラー総統の方が好感は持てる。

そのことは私も評価しているのだが、しかし気になる点もないことはない。  

 

 ヤマトを倒すことの代償としてガミラスの移住先の星を斡旋してもらえるあてがあるためか、デスラー総統はズォーダー大帝の命を受けてヤマトに攻撃を仕掛ける。(敵なの?)

かといって、ヤマトに対しても復讐心を持っているわけでもないので、テレザート星でテレサを交えて地球側と接触している際の様子は予想以上にしれっとしたものだった。(味方に?)

ここでは全てを見通す存在テレサがいることにより、デスラーの過去、ガミラス星の寿命、2199での暴挙の言い訳など一気に説明がされる!(味方に?)

しかし、この後もガトランティスに移住先の斡旋をちらつかされると又、形だけヤマトを攻撃したり、はたまた止めたりと、…日和見しているのか?(敵か?苦笑)

 

というふうに場面場面でデスラー総統の物語での立ち位置があやふやなのである。(何を考えているのか相変わらず分りにくい人物である…、私だけか、こう思ってるの?苦笑)

そして立ち位置が分りにくいせいでデスラー総統が係る戦闘場面は他のものに比べると緊迫感に欠けるような気がした。

まあ観ていてデスラー総統がガミラス移住先探しを第一義にしているということだけはなんとなく伝わってきたけど…。

 

おまけに旧作ではデスラー総統の最大の見せ場だったはずのデスラー艦での白兵戦場面が、すっかりミルのものになっていて、デスラー総統は単なる脇の人だった。

話的にはあれで良かったものの、デスラー総統見たさで観ていた私はがっかりした。

その後は甥のキーマン(ランハルト・デスラー)にガミラスを導くのはあなただと託されて、対ガトランティス戦の物語舞台から退場してガミラスへ戻ることになる。 

 

これからガトランティスとの戦いに挑むヤマトの人々と甥のキーマンを思いながら、デウスーラコアシップのスクリーンに映るヤマト船影を見つめるデスラー総統。

こみ上げる思いに耐えきれず「なぜ戦った。なぜ愛し合おうとしなかったのだ」 と独白するのだ。

これを聞いて私は少なからずショックを受けた。 

デスラー総統がこの台詞を言うのか!?旧作ヤマト1作目で古代が言ったあの有名な台詞を!!

ヤマトファンにとってこれはとても大切な台詞ですよ!これをあなたがこの場面で言う!?

…唐突な感じもするし、何故ここで?と違和感もある。

 

しかし、この文を書くために考えているうちに、この「なぜ戦った。なぜ愛し合おうとしなかったのだ」 は「2199」の終盤近くで彼自身が発した「戦いは必要だった。…」という台詞と対になる台詞だったのではないかと思った。

 

「2199」で地球への帰還を急ぐヤマトに白兵戦をしかけてきたアベルト対して「地球もガミラスも戦う必要なんてなかったのに。お互いに相手を思い合って愛し合うことだって!」と森雪は糾弾の台詞を投げた。

それに対してあの時アベルトは「戦いは必要だった。星々を従えこの宇宙を救済に導く為、そしてただ一人私の愛する人の為に」と返答したのだった。

 

ヤマトに攻撃をしかけ自滅して、自身曰く一度死んでガトランティスに拾われて、テレサに導かれ、敵として戦ったヤマトと縁を持ち、会うことのないはずだった甥キーマン( ランハルト)とも出会い心を通い合わせた「2202」のアベルト・デスラー総統の返答は、今はもう「戦いは必要だった」ではなくなったということだろう。

「2199」での森雪の「地球もガミラスも戦う必要なんてなかったのに。…」という台詞を再確認するような「なぜ戦った。なぜ愛し合おうとしなかったのだ」 が今のアベルトの答えなのだろう。

地球とガミラスの戦争は既に和平をもって終わっていたが、アベルト・デスラーの「たった一人の戦争」もやっとここで区切りをつけられたのかもしれない。

そして今後はこういう路線のデスラー総統でいくということですよね…、きっと次作品からはヤマトの味方となって物語に絡むのですね(苦笑)。

 

私は「2199」の感想でアベルト・デスラーについてわかりにくくて心の中が空っぽな人という印象を持ったと書いたが、「2202」を観てこのことについても今回なんとなく納得がいった。

幼少にして不本意な形でガミラスの寿命問題に関わることになり、兄と伯父が亡くなったことで成人前に重責を一身に背負わざるを得なかったアベルト。

国内の統一を成し遂げ、はるか宇宙にまで勢力を拡げ一大勢力を誇る帝国を築き上げたものの、ずっと孤独だったアベルト。

「自分の人生を生きられなかった、この私も」と自らを振り返る。

う~ん、そうか、アベルト・デスラー総統は兄マティウスの「約束だぞ」に縛られていたのか。

そしてガトランティスに拾われおめおめと生き延びた今、自分の過去を振り返り、あるべき人生ではなかったと、別の生き方があったと後悔しているということなんだね…。

「2219」の万全の体制のトップに君臨していた時も、実は自分のあるべき人生を生きていなかったのであんな風にシニカルで虚無的だったのか?。

 

 ちなみに「あるべき未来」に翻弄された人生を悔しいと思っているアベルトにテレサが「運命」は「自らの選択の結果」と言い放つ。

 テレサの前で、ヤマトの人々、キーマンと対峙しながら、思わせぶりな台詞しか言わないアベルトに対しては、「それでは伝わりませんよ」とも言っていた、そうだよね~、視聴者も同感だ!(テレサってナイス・ツッコミである)

「自分の人生を生きられなかった」と振り返って思う人はアベルトだけではないだろう。

世の人々だって結構多くがそう思っているかもしれない。

程度の差はあれ、自分の人生を思ったように生きられない境遇で、不本意な年月を過ごさざるを得ないことだってままあるだろう。

運命に翻弄されたと思うのは個人の心の持ちようだが、その都度選択を下したのは結局本人なのだ。

あなたの数限りない選択の結果が今の在りようだ。

あなたが今ある自分に満足できないとしたら、過去を悔やんでいてもしかたがない、今後の選択によって満足のできる未来へ進むしかそれを解消する方法はないのだ。

あなたの未来は今のあなたの思いによる選択の先にしかないのだ。

 

「2202」でアベルト・デスラー総統が決して悪い人ではないんだ、今後地球側と共に力を合わせてやっていける信用の置ける人ですよ~ということを視聴者に納得できるように描こう!という試みは成功していたと思う。

キーマンの言葉「叔父は…アベルト・デスラーは狂った独裁者ではなかった」「それが分っただけでも今回の任務は、嬉しかった」この言葉が全てを言い表しているのだろう。

 私も「それが分っただけでも今回の作品を観て嬉しかった!」と言おう。

 

ただ良い人だった説明は成功していたが、「活躍」場面があったかというと…?、全然物足りなかったと思うので、次作はきっともっと派手な見せ場もあるといいかな。

そして良い人になったようなデスラー総統が、良い人だけどつまらない人(私にとってツッコミどころのない、魅力のない人)になってしまっていないか次作でしっかりチェックしようと思う!(次作があること前提で書いていますが…、大丈夫ですよね?・笑)

 

ちなみに今作品のアベルト・デスラー総統のビジュアルですが、「2219」より老けた?

設定上も3年もたっているから、多少はそうあってもおかしくないのかもしれないが、似たような人物キーマンがいるせいで余計に年齢差を感じさせるように描かれていたような気がする。

旧作品のデスラー総統(もっとおじさんぽかった…)のことが好きな私としては、このぐらいの方が落ち着きがでて良いと思う。

もともと美形なんだから、少々老けても大丈夫ですよ(笑)。

   


76.クラウス・キーマン(ランハルト・デスラー)のこと

 

2話でこの人が出てきた時、デスラー総統ファンを自称する私はちょっと焦った。

クラウス・キーマンと名乗っているが、金髪にあの面差し、誰が見てもデスラー総統に関係のある人物(血縁者)じゃない?と思うはずである。

キーマンって…、名前も偽名ぽいし、絶対にデスラー家の重要な人物だと視聴者も皆思っただろう。

そしてこの人、見かけもカッコいい上に人格的にも優れているようだ!実にナイスガイなのだ。(アベルトよりずーと良い!)

デスラー家の縁者ならば彼が物語上「デスラー総統」になることもおかしなことではないだろう。

アベルトは「2199」でデウスーラ2世号が爆発した際、艦橋が飛んだように見えたから、死んでおらず旧作どおりに出てくるかもしれないけれど、あんな四面楚歌のような立場では出てきても結局この作品で死ぬしかないかもしれない…。

いや、最悪の場合はもう出てくることもないかも…。

そういう場合、もしかしたら今作品か次作品かでキーマンがアベルトに取って代わって「デスラー総統」になるんじゃないか?!という心配で焦っていたのである。(私ってアベルトのことこき下ろしていたのに、心配していたのだなぁ…、やはりどこか少し好きなのか?・笑)

前半、アベルトが姿を現すまでずっとモヤモヤしていた私である。

 

結局この心配は製作側のアベルト・デスラー総統へのテコ入れエピソードあれこれのおかげで杞憂に終わったのであるが…。

終わりまで観ると、むしろキーマンの方がアベルトを物語の登場人物に復帰させるためのテコ入れ要員として登場させられ使われたのかもしれないと思われた。

 

キーマンはアベルトの兄マティウスの忘れ形見で、本当の名前はランハルト・デスラーだった。

マティウスは人望もあり万人が認める大変優れた人物だったようで、ビジュアルも、フレンドリーな雰囲気のイケメンさんである。

この兄弟についてマティウスが陽ならアベルトは陰というふうな言い方を人々はしていたようだ。

 

キーマン(ランハルト)も、叔父アベルトより父マティウスに内面的な雰囲気は似ている。(見た目はアベルトに似ているのだが…)

父のマティウスが亡くなった後、母がアベルト政権に対して謀反を起こして追放処分を受けたのでキーマンは随分苦労して育ったようだ。(母も早くに病死したらしいし)

それにしては性格がひねくれることもなく、どんな人ともうまくやっていける実にいい青年に育っている。

ガミラスの上司のローレン・バレルもキーマンとは良き信頼関係で結ばれていたし、ヤマト艦内でもすっかり溶け込んでいたし、ほんとうにいい奴なのだ。

なんだか、良い青年過ぎてツッコミ所もなくて面白くないと思うぐらいの人である。

 

なので、別にアベルトでなくても、こっちが「デスラー総統」でいいかも、こっちの方が良い治世ができるかもしれないなぁ…なんて私もチラリと思ったのだが、旧作のこと思い出すと、こんな良い人がデスラー総統だと、ますます「デスラー総統」じゃなくなってしまうなぁ…。

アベルトは旧作とは全然違うけど、個性の強いツッコミどころのある「変な人」という括りではデスラー総統枠に入る資格はちゃんとあるかも…、ということで、私はアベルトがデスラー総統でいく方に一票である(笑)。

 

ビジュアル的に被るデスラー家の人が二人というのは今後の物語上やりにくいだろうし、するとやはり一人は亡くなるというのは必然だったろう。

それにしても、終盤になってキーマンがあの特攻のような役を買って出たのは驚いた。(その覚悟でアベルトにガミラスをよろしくと頼んだってこと…か)

おまけに山本玲とも両思いであったというのもちょっと驚いた(笑)。

 

だが、驚きいろいろの中でも実は私が一番驚いたのは、彼が滅びの方舟を倒す為に買ってでた特攻攻撃の飛行中での独白だった。

キーマンは今までの自分を振り返って「俺は自分が悲しいと思ったことはない、何も持たなければ失う悲しみもきっと知らなかったから…」と、愛する山本玲を思いながら「手に入れたぶんだけ幸せだったぶんだけ悲しいんだ、その悲しさを俺は愛する」と言ったのだ。

えっ!?、表向きは全然分らなかったけど、キーマンってただの良い青年ではなかったんだ…。

この言葉からすると彼の心象風景ってひどく荒涼としたものだ。

あの好青年の本当の姿って…、これまで失って悲しいと思うものが何もなかったって…、それって、どれだけ孤独だったんだ!。

でも、なにもなくて、執着するものがないから、あんなふうに人当たりがよかったのか…。

そして時間断層からヤマトと共に帰還した山本とバレルの会話場面でバレルが戻らなかったキーマンのガミラスでの境遇について「いろいろあったからな…」という言い方をしていたのもそれを裏付けるものだった。

あの物言いでは、キーマンが戻らなかったのは、テレサの世界が平穏ものなら現世の喧騒に戻りたくないのかも…という意味かと私は思った。

 

アベルトは「自分の人生を生きられなかった」とテレサの前で不満気な様子を見せたが、何も言わなかったキーマンの方がもっと「自分の人生を生きられなかった」人物だったのかもしれない。

あまりに過酷で複雑な境遇で育ったゆえに、全てのことをただただすんなりと受け入れてしまう。

アベルトよりもっと不満気であってもいいキーマンが全然そんな風を見せず、淡々と日々を生きてきたのは、不満の基準となる満足状態がどのようなものかも本人は分からなかったからかもしれない。

そんな風なキーマンがヤマトの乗員となったこと、山本に好意をもったことで、一時でもやっと「幸せ」を感じられたしたら、すくなくともそれはそれで良かったのかも、…、でも切ないなぁ。

 

考えると、アベルトがいかにも坊ちゃん育ちの甘ちゃんに思えてきた…、今後キーマンの分も背負ってと考えると、あの人もっとしっかりしてもらわなくてはね!(笑)

 

たくさんの人の意識の集合テレサの一部になって、この世に戻らなかったキーマンにとってあの場所がが安息の場であることを私も祈ります。

合掌。

 

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