71.「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」を観て

ブログの方にも少し書いたが5章まで観終わった時点では、無難にリメイクされていると思った。

真面目に作られていて普通に面白くて悪くはないけど、格別ひきこまれる!ということもない…というやつ。

良きにつけ悪しきにつけもうちょっとひっかかり所(ツッコミ所といいますか)がある方が感想を書きやすいんだけど…と思っていた。

 

5章までは細部設定は変わっているが、大筋は旧映画「さらば…」の流れに沿った展開であった。 

特に驚くような展開もないし、私の場合、旧作の展開を知っているので、なぞるようにリメイクされた部分は、旧作に対する美化されたの脳内イメージとどうしても比べてしまい、ワクワク感が抑制されてしまったのだと思う。(初見の人だと違うかも)

 

しかし、6章になってから印象は変わった。

ヤマト級戦艦銀河が出たり、ガトランティスの素性、ズォーダーの過去があかされるあたりから俄然面白くなった。

まず物語が佳境に入ってストーリー展開のテンポが良くなったというのもあるし、ズォーダーの一連の行動の「動機」、アケーリアス文明の滅びの方舟のありよう等、個人的にツッコミ所が出来たことで興味が湧いてきたことも一因だと思う。

 

一旦和平に持ち込めるかというような場面を入れながらも、ガトランティスとの避けられない全面対決に突入していく。

古代君のなんとか戦いを回避できないかとの行動も悪くはないのだが、私には土方艦長の「この戦い、もう行き着くところまでくしかあるまいな」という実のある台詞の方が印象に残ったかも。

このあたりになるとラストをどんな風にするつもりだろう?というのがずっと気になっていた。 

 

旧映画「さらば…」のラストについては、あの流れではあれしかなかったのだろうと当時も今も思うのだが、私はあれを見る度に切なくなるので、何か良い方法で決着がつけられないもんだろうかと思っていたのだった。

テレビ版「ヤマト2」の方はそうではなかったが、話の流れとしては変な展開だったから、これはこれで、 もう少しましな風にしてほしいと思っていたし(いろいろ不満の多い私だ…苦笑)。

 

そういうこともあって、「ヤマト2202」のラストの後のラスト展開(滅びの箱舟が消滅した後のことですが)については、あっというどんでん返しで、正直驚かされた。 

時間断層という特異な設定が物語冒頭から用意されていた真の意味(意図)がこれだったのかと、ちょっと感動さえしたような…。

あのラスト、私は気に入っている。

ヤマトと古代君、雪ちゃんも無事に戻って来られてほんとにホッとした。

そして戻って来たのを見て、これは続編も作る気満々だなと思った。

アベルト・デスラー総統がほとんど活躍する場面もないまま、新たなる新天地を目指す旅立ちをしたのを見た時点でも既に思ってたけど…(笑)。

 

後半の旧作とは随分違う展開の妙によって私のこの作品への評価は断然上がったといえよう。

見ていて途中ちょっとダレた部分もあったけど終わりよければ全て良しとしよう。

 

勿論「2199」を観終わった時のような怒りの気持ちはない。

でも怒りながらも「2199」を見ていた頃はもっと夢中で見入っていたかも。

心をかき乱すインパクトを私の中に残した作品と、平穏で清々しいような気持ちで及第かな…と思う作品だと、どっちがどっちなんだろう…?という微妙さ。

 

実はこうして感想を書こうと思い書き始めたものの、これがなかなか進まない。

言い訳じみたことを言うと、地域の放送事情で地上波放送が観られなかったので、仕方なくレンタルして観た。

録画して細部を繰り返し観る事ができなかったので、感想を書くにあたりどうだったかな?という部分も出てきた。

おまけに私にとっては、この作品を観ている最中も、この人何を言っているのか?抽象的なことを言っているので内容がよく分らない…ということも結構あったのだ(ズォーダーや、テレサや、アベルト・デスラーの言葉に多かったのだが…何人もですね…笑)。

おそらく私がバカなのだと思う(苦笑)。

もう一度、いやもう二度ぐらい観たら補完されるかもしれないけど…、又レンタルして観なければいけないとなるとケチな私にとっては辛い(苦笑)。

そういうこともあって、以下の感想では未熟な理解で的外れな部分もあると思いますが、ご容赦ください。

  

細々したことの感想は以下各項目で書くことにします。

 


72.ガトランティスとズォーダー大帝のこと(ヤマト2202)

「ヤマト2202」の登場人物の中で一番ツッコミ所のあるのはズォーダー大帝、やはりこの人だと思う。

 しかし、実は、この項目になってもう何日も書きあぐねている…、私、正直言うとズォーダー大帝についてよく分からないかも…。

でもツッコミ所は十分あるので、分からないなりに書くことにする(笑)。

 

「2202」のズォーダー大帝は「愛」の哲学者か「大いなる愛」教の教祖様のようなのだ。 

とにかく「愛」について何度も何度も語る。

1000年前に愛する妻と子供を失ったことがその始まりだと思うが1000年かけて愛について熟考しすぎた結果、非常に虚無的な考えに至ってしまっている。

 

愛によって紛争を起こし、宇宙の秩序を乱す悪しき種である人間は我ら愛に縛られないガトランティスに滅ぼされることで救済されるからありがたく滅びを受け入れよ!

 滅び(死)を受け入れることで人間は愛による苦しみからやっと解放され、真の幸福と安寧が得られるのだ。

 

こんなこと思っている大帝が古代アケーリアス文明の「滅びの方舟」を手中にしているのだから、やっかいで危険なことこの上ない。

 

大帝がこうなってしまった経緯が6章では詳細に明かされる。

若きズォーダーとその妻サーベラー(ゼムリア人)と抱かれた赤ん坊の姿が出てくるのだが、この時の 大帝の美形なこと!

表情も慈愛に満ちているような気もする…、妻子に対する深い愛があったのは間違いないだろう。

私は「2202」の中でビジュアル的に一番カッコイイのはこの若き大帝だと思った!(私のタイプですよ!・笑)

 

 実はガトランティスはゼムリア星の人間が戦闘用として使役するために造った人造兵士だった。

人造細胞で出来ていて生殖でなくクローンで次世代へ繋いでいく。

タイプもいろいろあるようで最上位タイプ・ズォーダーになると複雑な精神構造をもっていて感応波(コスモウェーブ)さえも操れる。

つまりタイプ・ズォーダーは人間のような感情もある人間よりも高性能な生命体。

ゼムリア人が高性能すぎるタイプを作ったことでガトランティスはゼムリアの家畜ではいられなくなった。

ガトランティス側は不当な扱いに不満もでるでしょう、そうなるとゼムリア人側は自分たちより高性能な存在に危機感を持たざるを得ないでしょう…。

自分たちの創造主である人間(ゼムリア人)との争いの中で、妻子を人質にとられたズォーダー。

「悪魔の選択」を突きつけられ、苦渋の選択したにもかかわらず、約束は破られ妻子と同胞と選択肢の両方ともをゼムリア人に無残に殺された。

ズォーダーは人間に対し深く失望したし強く憎んだ。

そして愛に縛られないはずのガトランティスでありながら、人間と同じように愛に縛られた自分が行った選択によって妻子と同胞を死なせたことを後悔してもしきれなかったろう。

 

ここまでは私も分かるし、大変気の毒なことだと思うのだが、ここから冒頭に書いたような悪しき種、人間は「大いなる愛」による救済(死)を受け入れよという方向へ行ってしまうと…、それはちょっとどうなのよ?…と思う。

登場人物としては悲劇的でドラマチックな設定で、それなりに感情移入もできる部分もあるので悪くはないんだけど、(私も雰囲気に流されて大いに面白く観たけど…)冷静に考えると、なんだ?この人??という気がする。

普通の人間だったら、直接憎悪の対象ゼムリアを滅ぼしたことである程度気持ちも治まると思うのだが…、そんなことはなくて、どんどん思索の深みに入っちゃったようである。 

 1000年越しの絶望は薄まるどころか、より濃くなってしまってる。

宇宙にあるいろんな星のいろんな人々、皆が共通して彼に対して思うことは 、1000年の絶望に全宇宙の人間を巻き込まないで欲しい!であろう(苦笑)。

 

さて、考えても 考えてもよく分からないのは彼の最期の行動である。

ゴレムを発動させてガトランティスを死滅させたこと、その後、自分がゴレムで死ななかったので自ら滅びの方舟の裁定者となって方舟を発動させてしまったことは、どういうつもりだったのか?

自己矛盾が明らかになったことで、自殺めいた行動をとったのかな…、それとも進退窮まって自暴自棄で衝動的にやっちゃったのか?

物語上、滅びの方舟が起動しないと話が進まないから仕方ないのだろうが、最後の最後で余計「こじらせれた」奴!という印象が強くなった。

「2202」はそんな「困った人」ズォーダー大帝に振り回される宇宙の人々の話だった 。

 

 ちなみに、感想を書こうと思っているのだけど分からないことがあって困っていることを、全話一緒に視聴したウチの娘(20台)に相談した。

彼女曰く、自分も分からないことがいっぱいあったと、まあ今時の作品はそういうものも多いから分からなくっても気にするなと、むしろ分からないことを分らなかったと書けばいいのではと。

なるほど、確かにそうかもね…、ということで書きました(苦笑)。

 


73.滅びの方舟と古代アケーリアス文明のこと

又、古代アケーリアス文明の遺物である。

映画「星巡る方舟」で出てきた恒星間播種船「シャンブロウ」と対をなすものであろうか。

片方の方舟で宇宙に人という種を蒔きながら、滅び消し去るための方舟も用意していた古代アケーリアス文明。 

そのオーバーテクノロジーさを思うと創造主、神みたいな存在だと考えていいのかもしれないが、

そんな彼らも何故かとうの昔に滅んでいるのだった。

 

「2199」でも亜空間ゲートを遺したり、とにかくスゴイ技術を持った文明のようである。

「滅びの方舟」もこれはちょっと反則だよね…というような強大な力を発揮するもので、こういう物があることによって余計混乱の元になるのではないのか?という気がする。

人間の裁定者の意志で起動できるというのも、分ったようでよく分らないし…。

サーベラーは裁定者を務められるようだが、他の誰でも人間なら務められるのだろうか?

結局ズォーダー大帝も裁定者になれたようだし?、威力絶大なのに、使用者に対するチェックは

甘い…?。

どのような人間が裁定者に、どのような行いをしたものが裁定される側にということを厳密に想定していたのかも疑問だし、もしも悪しき種だとしても、きれいさっぱり消し去って又やり直せばいいやという考えはどうなのか?裁定される側も人間でしょう…。

非常にドライで冷徹なものが感じられて古代アケーリアス人に対して不信感が拭えない。

 

悪しき種が出たらそれを滅ぼすためにこの方舟は設定されているようだが、その考えはゼムリア人がガトランティスを造りながら、安全装置として一瞬で彼らを滅ぼせるゴレムを造っていたのと似ている。

安全装置を作りながら結局自分たちが生み出した被創造物に滅ぼされたゼムリアを思うに、古代アケーリアスがどんなだったか、どんなふうな経緯で滅んだのかということが非常に気になる私である。

もしかしたら、同じように自分たちが蒔いた人間のうちのどれかの種族によって滅ぼされたということもあるかもしれない。(いや、あんなスゴイのだから他から滅ぼされるってないか…)

 

では、やはり進みすぎたテクノロジーをもつようになると(文明も頂点をすぎると)種として生きたい、存続していきたい気持ちが衰退していって自ら滅んだということかもしれない。

 

イスカンダルのことや、ゼムリアのこと、ちょっと方向性は違うけどテレザートのことを思い浮かべても、人がいなくなったり、自分たちが作ったものに滅ぼされたり、人間の姿から別のものになってしまったりとそれぞれ違うがどこも生に対しての意欲は下り気味だから、そういうことかもしれない。 

 

とにかく今のところ古代アケーリアス文明について断片的なことがいろいろ示されるが、全容については謎がいっぱいのままなので、非常に気になる。

旧作の水の惑星アクエリアスがアケーリアスの名前の元ネタというのをどこかで読んだけれど(アクエリアスはもっと分かりやすい星だったけど…)、続編を作るなら(どこまで作るのかわからないけど)、この文明の顛末も是非詳しく描いて欲しい! 

 


74.「悪魔の選択」の答えについて

「悪魔の選択」って、ズォーダー大帝が人間に対して突きつける非情な選択なのだが、選択肢の片方は突きつけられた人の最愛の者の生死で、もう片方は公的というか、大勢の人々の命と安全みたいなものだ。

惑星シュトラバーゼでは輸送船3隻の中から1隻だけ助けてやるからから選べと(ユキちゃんが乗っている船を選べと)古代が選択を迫られた。

 治療法もない不時の病に冒された子供を持つ加藤に対しては、桂木透子を通じて子供の命を救う薬の提供とヤマトのエンジンを止めることの二者択一を迫った。

そしてキーマンにはデスラー総統を射殺すれば、地球とガミラスを見逃してやるから選べとミルに言わせたのだ。

 

古代はユキの機転で選ばずにすんだが、加藤は子供の命を選んで、苦しみも背負うことになった。

キーマンの場合は選択を実行する(デスラー総統に銃口を向けた)直前に古代がそれを止めた。

「選んではいけない、どちらを選んでも大切なものが失われる!」と選択自体を否定したのだ。

視聴者の私も各選択場面を観ながらどちらを選択すべきか?とその都度、ハラハラしていたので、この古代の言葉にはちょっとびっくりした。

そして悪魔の選択に対する答えってこれが正しいかも…と、選ばなければと思い込んでいたのが、目から鱗が落ちた。

選ばず、別の解決法をさぐるべきで、悪魔とは取引すべきではないのだ。

悪魔の選択はどちらに転んでも苦しみを与えるための選択なのだ。

二者択一でなく、二者とも救う道を模索するのがベターなのだろう。

まあ、いつもベターな道を行くことができたら誰も苦労がないけど…、そうそういかないのが人間なのですが。

 

しかしどうして、ズォーダーは選択を人間たちに対して繰り返し投げかけるのか。

退屈しのぎのゲームというふうなことを言っていたが、明らかにこの選択はズォーダーがゼムリア人に突きつけたれたのと同様な選択である。

もしかしたら今までも他の星の人間に対しても選択を突きつけていたような感じがする。

ズォーダーは選択に対する人間の反応を見ている。

最愛の者の命を選んで、同時にもう一方犠牲にしたことで苦しむ様を見ては、虚しい、だから人間は…云々と言いながらもどこか納得している様子。 

そして選ばないとなると、非常に激怒しているようだ。

 

自分が1000年前にした選択に対してやはりずっと引きずっている…?

あらゆる人間が自分がしたのと同じ選択をするのを確かめたくてやっているように見える。

確かめたからってどうなる?

愛ゆえに苦しむ人間だから、死による救済をしてあげようという理論につなげるのか?

…、やっぱりズォーダー大帝、「困った人」だと私は思う。