55.旧作にあったガミラスの地球移住計画の設定は何故無くなった?

 

旧作ヤマト一作目は実によく出来た物語だった。

「西遊記」のように目的地を目指して苦難に打ち勝ちながら進む旅路にドキドキハラハラ興奮させられる。

そして地球滅亡まで一年しかないというタイムリミットも緊迫感を与える。

敵側が謎に包まれていて、執拗な地球攻撃の目的もよく分からない。

おまけに攻撃は無慈悲であった。

地球を救う為には相手を倒さねば一歩も前へは行けない。

相手は悪だ。

戦いも致し方ないのだ。

そして、やっとのことで目的地はもうそこにという地点へたどりついたのだ。

 

ここまで相手側の敵の描写は悪の組織のような集団といった様子であった。

どうせ、いつものアニメ作品のように宇宙征服が目的なんだろうと当時の私は思っていた。

(世界征服もしかり、こういうのってあまり具体的な意図もなくいつも抽象的なのだ)

しかし、ここからが違った。

 

彼らガミラス星は星の寿命が尽きていた。

劣悪な環境で暮らし、星と共に滅びる運命から逃れるために移住する星が必要だったのだ。

この目的で地球を彼らは欲していたのだ。

シンプルな筋書きだ。

分かりやすくて…、しかし、これでは容易に相手との戦いを避けることは出来そうにない。

どちらの側も一歩も退けないではないか。

 

そんな状況で始まる最終決戦は熾烈を極めた。

一作目の24話の感想にも書いたが、衝撃的だった。

ガミラス星は戦いの結果完膚なきまでに破壊しつくされた。

 

正義の主人公側が倒していいのは悪役だった。

一切一般のガミラス人が描写されることはなかったが、あの本星には軍人以外の人々も居ただろうということは想像できる。

星が壊滅したということは一般のガミラス人も壊滅しただろう。

戦闘の結果、ヤマトはガミラスを打ち破りイスカンダルに行ける。

コスモクリーナーDは手に入るだろう。

 

しかし、拭いきれない苦い気持ちと重すぎるやりきれなさ…、「戦うべきではなかった」と言う古代進の憔悴した姿が忘れられない。

淡々と平静に古代にガミラスの海底火山脈を波動砲で撃つ指示をする沖田、ガミラス星自体を滅亡させることを自覚した上でだ。

帰るべき地球を目の当たりにしながら、ヤマトの業を背負うように旅が終わる時に一人死んでゆく沖田。

終盤は当時も今も観ると、大丈夫かこの展開?と思うくらいキツい。

しかし、だからこそ強烈なメッセージが伝わった。

 

あんな展開を怯まずに描ききったことは驚嘆に値する。

では、今、この展開を作品で行うことが出来るのだろうかと考えた。

途中のガミラス帝星を悪の組織的描写でずっと通すのも難しそうだ。

そしてなにより今の美しい作画でガミラス星が壊滅状態になるまで破壊されるのを私は正視することが出来るだろうか?

旧作を信奉状態の私だが、正直、この問いを突きつけられると腰が退ける。

そんなこと、よほどの覚悟がないと描けないのではという気がする。

 

今の時代に一作目をこのままの筋書きでリメイクするのは無理なのかもしれない。

でも、そうであるなら、もう、いいよね。

私が改めて観直しても、大人の目で見ても、あの旧作「宇宙戦艦ヤマト」は十分今でも名作のままだった。

ならば、旧作は旧作のまま私たちが観てずっと楽しめばそれでいい。

あれは、私が今から20年30年たって又観直しても、その時もきっと感動できる作品だと思う。

 

だから「2199」は「2199」として別の作品として捉えて観賞すべきものなのだ。

 

 

56.旧作設定を「2199」はどう変えたのか?

 

では「2199」はどうなっていたのか?

ガミラスには星の寿命を迎えているという設定はなく、帝国の版図の拡大を武力で押し進めている。

この目的はゼーリックのような者たちにとってはガミラスの栄光威光の更なる拡大を目指すというところであろうか。

そして方向性は同じだが、アベルト・デスラー総統の目的の大本は、スターシャの意志をガミラスの力による宇宙平定によって実現させたいということらしい。

 

メルダはヤマトに来た時にガミラスは相手に「服従か殲滅で対応する」と言っていた。

そして地球側はガミラスとのファーストコンタクト時に先制攻撃をしたからそちらに否があると言っていた。

 

地球が戦いの先端を切ったのは確かかもしれないが、ではガミラスとの戦いを避けるのにはどの道があったのか。

ザルツのように服従を選択して二等市民となってガミラスに奉仕するしかないということか?

それでいいのか?

考えれば先制攻撃云々以前の問題で、戦わずによかったのにとはいかなかったのではないか?

こう思うのは私が好戦的すぎるのか。

 

物語の初めのうちからガミラスの内部の描写は旧作とは違った。

アベルトを頂点にした帝国であるが、ゼーリックのような純血主義者もいれば、総統に従いながらも方針に多少の疑問も感じているディッツのような高官もいる。

また、異星人でありながら能力で取り立てられたセレステラのような者もいる。

なんと国内には反乱分子もいるようである。

ガミラスは一枚岩でないことが次々と描かれる。

そして地球側もイズモ計画を押し進めようとする芹沢のような勢力もいるし、こちらも決して一枚岩ではないようだ。

 

すでにガミラス側の描写でアベルトの演説に熱狂する一般人民の姿を目にした時にこれは旧作と同じような展開はないと思うべきだった。

だって、ガミラス星は星の寿命問題もないし、移住計画もないのだ。

星の命運をかけてまで一丸となってヤマト一隻を必ず沈めねばならないというわけではないだろう。

ただ、ヤマトを放っておけば示しがつかないという意味で、版図を広げた先の星々の反乱は増えるとか、今後の侵略計画には支障が出るかも…なんて問題が次々起こる懸念があるというところだろう。

 

結果、ヤマトがヒーローものの決まりというべき最後の戦いを繰り広げる相手は、ガミラス臣民を独りよがりの野望で扇動していたアベルト・デスラー総統一派で、この一派のみを倒すという形をとった。(ゼーリックは途中粛正されたからね)

そしてアベルトの元にあったが、やや穏健派の者たちとは、なし崩し的な和平の形で決着をつけるのだった。

 

現実社会でも時々見る、世界のどこかの国の独裁政権が国内外の圧力の元倒れたというようなニュースを思い起こさせる展開ではないか。

ごくごく無難で現実的であるといえるかもしれない。

 

戦いを繰り広げた双方にそれぞれの事情があったが、それを乗り越え双方の良心部分同志で向き合えば戦うことなく未来を掴めるというようなメッセージを受け取ればいいのだろう、きっと。

森雪がヤマトに白兵戦を仕掛けて乗り込んで来たアベルト・デスラーに「地球もガミラスも戦う必要なんてなかったのに。お互いに相手を思い合って愛し合うことだって!」と言っていたが、これが「2199」のメッセージだろう。

「戦いは必要だった。星々を従えこの宇宙を救済に導く為、そしてただ一人私の愛する人の為に」と言い訳のように答えたアベルトはガミラス現政権からも見放された形で半ば自滅状態で死ぬ。

唯一ガミラスの犯した罪はこれによって贖われたみたいな描写であった。

 

ガミラスってあれだけで許されるのか?

それとも映画版続編でガミラスにもっと苦難が降り懸かるのか?

あれでイスカンダルと一緒にランランラン良かったねでは、倫理的にも納得いかない気がする私は心が狭すぎるのか?(笑)

 

 

57.本家と分家のような双子星ガミラスとイスカンダルのこと

 

スターシャとアベルトは昔からの知り合いのようだ。

 

アベルトが臣民の前で行った演説内容の言葉からするとイスカンダルとガミラスは元々一つだった、それが分かれて、再び統合することがガミラスの悲願らしいのだ。

元は一つでということは、分かりやすく言えば本家と分家みたいなものか?

本家はイスカンダル、昔からすると衰退して人もほとんどいないけど、分家側からすると、やはり本家は大切で今でも頭が上がらないみたいな。

そしてガミラスはイスカンダルに対していつまでたっても尊敬の念と共にコンプレックスもあるのではないか。

 

アベルトがスターシャに対して抱いている想いもコンプレックスが入り交じっているように見える。

あの両星に飾ってあるタペストリーのようなものの図柄ってイスカンダルを守るガミラスということだよね。

私は、昔イスカンダルの指示の元、手を汚す仕事を担う階級の人をガミラスに住まわせていたのではないかと感じている。

あのタペストリーはアベルトが自分とスターシャを模して作ってイスカンダルに贈った疑惑もあるけど、そうだとしたらアベルトってちょっと痛い奴!(笑)。

 

物語終盤で出てきたアベルトとスターシャの過去の回想のプロポーズみたいな場面、あれは地球侵攻前だろうか。

7、8年以前とするとアベルトは24歳ぐらい?スターシャは19歳ぐらい?それよりも若い頃かも。

スターシャは今も全然歳をとってないように見えるが、アベルトは老けたよね(苦労したか?・笑)

(ここで書いた年齢のもとになっているのはアベルト32歳スターシャ27歳というネットで見かけた年齢を参考にした)

 

このプロポーズみたいな場面でも、アベルトは必要以上に自分を大きく見せようとスターシャに大見得をきっているように見えた。

美しく尊いイスカンダルの女王スターシャに、なんとか振り向いてもらいたい気持ちが観ている方にも伝わってくる。

スターシャは、うちとそちらでは思想が違うから無理!みたいに言っていた。

あれってアベルトには気の毒だけど、あの大見得も聞き流されてたかもしれない(苦笑)。

スターシャの顔、平静すぎるように見えた、さほど心動いてないのでは。

それともポーカーフェイスなのか?

 

スターシャは「あんなこと言ってたけど、まさか本気で宇宙の平和を代わりに実現するなんてことないわよね」なんて高をくくってたとか。

言ったアベルトの方は、マジで必死に平定のための侵略始めちゃって、なまじっかそっちの才能あったもんだから、あれよあれよで、どんどん版図は広がる。

利害の一致ということで、それに便乗して、ゼーリクみたいな派閥もアベルトの後押ししちゃって益々隆盛になっていく。

スターシャが気がついた時には「えっ?!ちょっと待ってよ!いつの間にこんなことに!それに昔のイスカンダルの間違ったやり方と同じ方法で平定目指してるし…、これってだめよ!やめてよアベルト!」状態かもしれない。

 

アベルトは言った通りの平定に近づいているから、両星の大統合を(自分とスターシャも個人的に大統合)早くしようと迫ってくる。

スターシャ、そんな気さらさら無かったのに…、困る、どうしよう…的に苦悩というところだろか。

 

もし、こんな事情が地球の攻撃された一因だったらと考えるとどうしようもなく空しい。

それにガミラスとイスカンダルって星は二つあるけど、あれ、ほとんど同じなんじゃないの?疑惑を私は持っている。

統合って言ってるけど実質一つみたいなものじゃないの?

片方には、もう女二人しかいないし、ガミラスの人は上から下まで二人のこと崇め奉ってるし、決してただのお隣さんではない。

本家を崇める分家、でもあれ、普通に考えれば既に一つだよね…と私は思う。

だって、アベルトがいなくなったらユリーシャをガミラスの上に立てる云々と言ってたし…(苦笑)。

 

 

58.「2199」のイスカンダルのこと

 

イスカンダルにシャルバート星の要素がプラスされていると私は書いた。

シャルバート星って「ヤマトⅢ」で異次元に隠れることで、他の星との接触を絶って、やや原始的で素朴なそれなりの繁栄状態で平和に人々は暮らしていた。

ある意味理想郷だった。(そのかわり置き去りにされた宇宙に散らばる信者たちはえらい目にあっていたが・苦笑)

それに比べてこの「2199」のイスカンダルの様子はどうしたことだ。

 

旧作ではイスカンダル人って極力運命に逆らわず何もしない人たちだったようだ。

星の寿命と共に自分たちも滅びるつもりでいたので、天変地異などで次々と死んでいったと思われる。

星の寿命問題のない「2199」のイスカンダルに人がいない理由は何なのだろう。

他星の生命体の救済をするために出立したまま帰らぬ人となってしまったのか?

 

それにしても、もう姉妹二人ではさすがにまずいでしょう。

どこかで婿を迎えるとか考えないとすぐ誰もいなくなるよね。

その意味ではアベルトの提案も考慮の余地は十分あったろう。

しかし、どうしても嫌なのか?(哀れなアベルト・苦笑)

守兄さんならOKだったということであろう。

守兄さん来なかったらどうするつもりだったのか?

いろいろ想像させてくれるイスカンダルである。

 

星をあげて救済を押し進めるのもいいけど、自分の星の人口減少対策を考えるとか、同時にいろいろとすることがあったと思うのだが。

 

しかし、コスモリバースシステムも魔法のような怪しい装置だった。

あそこの星には、もっとあの手の胡散臭い高度な科学の装置がいっぱいあるのかもしれない。

そしてそれらも又、人を糧にして動くというような仕組みかもしれない。

そういう需要で消費されたあげく、人がいなくなっていたら…恐い!(笑)

まあ、いくらなんでも、そんなことはないと思うが…、思いたい(笑)。

 

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