宇宙戦艦ヤマトシリーズ作品を観終わって
「宇宙戦艦ヤマト2199」に触発されて始まった旧作ヤマトを観る私の旅も無事にシリーズ作品全部を観終わった。
総括してシリーズのことを書くことにする。
41.観た結果、私が好きな作品は?(順位)
①旧一作目ヤマト ②ヤマト・新たなる旅立ち ③ヤマトⅢ ④ヤマト2 ⑤ヤマト完結編 ⑥ヤマトよ永遠に
の順であろうか。
ここに復活編を含めるとしたら、②が復活編で、後はそれぞれ降順となる。
でも復活編はシリーズではないと思う。
あれはあれで新たにシリーズになってもらいたいと私は切望している。
(「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」はシリーズものとはちょっと外れるので順位には入れなかった。)
これって、あくまで私の好みである。
私のひとえにデスラーファン魂が選ばせた結果といってもよく、著しく客観性を欠く。(苦笑)
①旧一作目ヤマト
これを1位にすることには一般の人も異論はないのでは?と思う。
何度も感想に書いているが、今観ても、ほんとに面白かったし楽しめた。
私にとっては絵だって、そう失望するようなものではなかったし…(私が昔の人だからか?)。
デスラー総統もやっぱりカッコいいのだった。(風呂場面も勿論好き!・笑)
うんと悪役で、これはこれで徹頭徹尾きっちり、しっかりと悪役らしくて好きなのだ。
作品の内容も充実しているし、演出だって毎回飽きさせずグイグイ引き込まれる上手さだ。
そして何より、観る者の心を熱くして、何年も何十年も忘れることのない感動を与えてくれる作品だった。
これこそ、日本アニメ史に残る大傑作だと私は思う。(好きだからといって、ちょっと褒めすぎたかな?笑)
②ヤマト・新たなる旅立ち
これについてはもう私的な感情の暴走順位だ。(笑)
この作品、私が常々ヤマトに感じる浪花節テイストが一番強い作品かもしれない。
このテイストが、ヤマトが好きと人前で言う時に非常に恥ずかしいと感じる大きな要因なのだが…、でもあえてこの作品を2位にする。
だって、これはデスラー総統の物語だからだ(赤面)。
女子で総統ファンだったら外せないよ…、総統がどんなに恥ずかしい姿を晒してようと、総統を愛する者にとってはこの作品は愛おしくてたまらないと思う。
物語展開がまだるっこしくても、演出がお涙ちょうだいに思えても、ラストが変に超自然現象みたいになっていて興ざめでも…。
総統がカッコ悪いのにそれが反面最高にカッコよく思えて胸が熱くなるという…、総統に萌え萌えの私だ!
ヤマトははっきり言って脇役みたいなので、普通の人の評価は低いかも…(笑)。
③ヤマトⅢ
又、私的感情がほとばしってます!
人間が丸くなった(?)デスラー総統の出番が多いこと、総統が新しい国ガルマンガミラスを見事建国されていたことへのお祝いをこめて3位にした。
私の中では「ヤマト2」と接戦だったが、あの極端な宗教シャルバート教が提示した平和主義の胡散臭さを問題提起と捉えている私はこっちの方が面白かったかな?とも思うので。
話自体は打ち切りの影響の為か、いらない部分満載の余裕ありすぎ展開の前半と、後半のすっ飛ばし展開のアンバランスが大変気にかかるといえば気にかかるのであるが…。
私はガルマンガミラス、バンザーイ、デスラー総統、バンザーイで3位とした!
④ヤマト2
3位とほぼ同等の4位だ。
戦うデスラー総統はこの「ヤマト2」が一番カッコいいかもしれないと思っている。
戦い巧者の面もちゃんと見せてもらえたし、ちょっと凶暴に戦闘に挑むお姿も魅力的だったし、全裸手術に、シーツ投げに、パネル通信祭りとツッコミ所も満載だったし…。
敵方の彗星帝国もキャラ立ちしてたし、音楽も良かったし、こう書いていくといいとこだらけだなぁ…。
でも、テレサのあの超能力を遥かに超えてるような強大な力が、私が物語に没頭、熱狂するのを妨げているのだった。
どうしても、なんか腑に落ちないような気がする…と、我に返る私(苦笑)。
なので、「ヤマト2」は僅差で4位に甘んじてもらうことにする。
⑤ヤマト完結編
これって良く考えたら、「さらば…」と似たような感じの話だ。
ヤマトがその存在を呈して地球の危機を救う、「さらば…」で古代がヤマトと共に散ったように「完結編」では沖田が散った。
シリーズを続けてやはりこの形で私たちの前から姿を消す形になったんだ…と思うとちょっと複雑な心境である。
完結編で、これでお別れなのに、何故か観続けていても心が躍るようなことが終始なかったように思う。(あっ、総統が助けに来てくれたのだけは心躍ったけど!・笑)
お別れで悲しい…という気持ちが私の心を覆い尽くしてしまっていたのだろうか?
やはり、どこかに心躍るところがないヤマトはあまり楽しくないなぁと思った私であった。
⑥ヤマトよ永遠に
これが一番下の順位になった。
これって、デスラー総統が全然出ていなかったからね…、そのことだけでも私の順位づけでは不利な要素でしょう。
私のイメージでは「永遠に」はとても地味な感じだった。
それに、又、でかくなるサーシャとスターシャが気になった。
完結編も順位が低い要因の一つはあの巨大ホログラム、クイーン・アクエリアスかもしれない。
私はでかくなる女神たちが苦手なのかもしれない。(妙に白けるというか…苦笑)
どれかが最下位にならねばならないのが順位づけの宿命というもの、「永遠よ」よ諦めてくれ!(笑)
42.ヤマトは「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」で終わった方が良かったか?
2013年4月にTV放送が始まった「ヤマト2199」をきっかけに旧作をネットで検索した。
旧作一作目と「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」しか観たことがなかった私は、観てない作品がこんなに(ヤマト2以下のシリーズ全部)あったことに驚いた。
ネットを見ているとたまに、「さらば…」で製作が終わっていた方が良かった…との意見を目にすることもある。
シリーズを観終わった今、考えるに、もしかしたら最良って、むしろ一作目で終わることだったかもしれないような気もしている。
しかし、それは実際には絶対出来なかったようにも思う。
私も当時のことをぼんやり思い出すにつけ、あの頃のアニメって普通52話ぐらいが標準の時代だった。
それが、半分ぐらいで打ち切りになったということもあり、話数的にも物足りなさを感じていた。
内容も当時としては破格に面白かったものだから、よけいにもっと観たかった。
再放送を待ち望み、見返す度に、気持ちがどんどんヒートアップしていったものだった。
だから、私も一作目の劇場版も嬉々として観に行ったし、続編「さらば…」が製作されることも熱望していた。
「さらば…」については、当時上映時に観た後、相当なショックを受けたことは記憶している。
だが、その後どんな心理状態になったのかやら、どうしてその後ヤマトから離れたのやらを何故かはっきりとは思い出せない状態である。(軽く記憶喪失のような…笑)
「さらば…」はいろいろ考えさせられる作品だった。
ラスト近くで圧倒的な力の彗星帝国を前にして、古代が戦う術がもうないと悲嘆した時、一作目で死んだ沖田の声で「命だよ。お前にはまだ命が残っているじゃないか。」という言葉を天啓のように聞くのだ。
そして古代は命をかけて彗星帝国にヤマト本体ごと突撃することを決意するのだった。
あそこを思い出すといつも居心地が悪くなる。
これっていいのか?っと…。
あの行動によって結局はテレサも動いてくれて、彗星帝国に勝てたという流れだったが、あの時点ではテレサが来るのをヤマト側は予想も出来なかったはずだ。
まあ、そんなのを期待して行動するというのも、それはそれでおかしいことであるが…。
しかし、どういう、心持ちであの捨て身の突撃推奨の言葉を受け取ればいいのやら…、私の心は複雑で混乱してしまうのである。
命を懸けても守らなければならないものがあるっていうのは分かる…、しかし、それってどんな形でなすべきことなのか?
私は高校生で混乱してるけど、こんなメッセージみたいな内容を、もっと幼い人たちも観て良かったのか?彼らは果たして混乱しているか?混乱した方がよいと思うが…。
そしてとにかくあの作品中では中盤以降多くの人が次々と亡くなる亡くなる…、壮絶そのものの展開が繰り広げられたのだ。
当時、私は映画館で号泣した、きっと顔は見られたものではないほどぐちゃぐちゃだったと思う。
一度観たきりでとにかく衝撃を受けた。
後に他のアニメ作品でも、こういった次々と主要人物が亡くなる展開はたまに見かけるようになっていった。
私はもう「さらば…」で耐性がちょっとだけ出来たせいか(?・苦笑)、自身が大人になったせいか、まあまあ衝撃は受け止められるようになっていくのだが…。
今回、「さらば…」観なおしたときも、少なからず動揺してしまって冷静ではなくなったというてうていたらくなので、位置づけを語れるか不安だ。
あれを観ると不思議とリアルタイムで観た高校生ぐらいの気持ちに戻ってしまうのだった。
レンタルしたのを1回ではもったいないので2回目観てやろうとして観はじめたものの途中で挫折した。(デスラー総統が亡くなる所を観た時点でもうダメだった…、悲しくて、 ショックで夢でうなされそうだ・笑)
あの作品は主要な乗組員も多く亡くなったし、ヤマト本体も完全消滅という後腐れない形での明確な別れを私たちファンに突きつけたものであった。
潔いといえばこの上なく潔い形で引き際を見せてくれたのかもしれない。
私も当時、あれをストレートに受け入れて、ヤマトと別れたのかもしれない。
あれを受け入れた時点では、結末をちゃらにして、続編をホイホイ観るという気持ちにはきっとならなかったのではないかと思う。
であるから、私も「さらば…」で終わった方が良かった説は、十分妥当な意見だとも思っている。
しかし、今、シリーズ作品を観終わった私の心境はそれだけではないのである。
それについては次項に書く。